フランスで山歩き

仏リヨン在住、40歳を過ぎて再び山に目覚めた元ワンゲル部員。週末になるといそいそと山に出かけています。

グラン・ガリビエ、本物の頂上へ

西と東とふたつあるグラン・ガリビエの頂上。ケルンに導かれ手前にある方に登頂してみると、メインではない東の頂上(3219m)に着いてしまいました。とりあえずはお昼ご飯を食べた後、高い方の西の頂上に続く稜線は切れ目が深すぎて普通には歩けなさそうなので登ってきた面を一旦ある程度下りてからチャレンジしなおすことにしました。


向かいが西の頂上(3228m)。ふたつの頂上の間の稜線はちょっと歩くの無理そうです。


登ってきたへんから下りていきます。


だいぶ下りてきたけど、中途半端なところからトラバースし始めて岸壁にぶつかって今度は真下には急で下りられない、とかなると嫌なのでもう少し平たいところまで下りときます。


3000mちょいまで下りました。


このまま北東方向に歩きます。


あ~っ、ペンキマークが💙 助かった・・・


ジェネピ・デ・グラシエ


ここら辺は道がはっきりしています。ずっとこんなだったら道見失わなかったのに・・・でもさっきは土のない岩だけのゾーンだったのでケルンとペンキマーク以外は道を示すことは難しかったわけです。どちらも十分にあったとは思えません(;´Д`) でもまあこうやって両方登れてるからいいですけど(^▽^;)


時計の上の部分には上り下りした分がグラフみたいに表示されています。下りて・上ってるよと一目瞭然です。


登っている斜面の下の方を眺めて。
右手はエクラン、奥はケラ山塊になります。


頂上から30代後半くらいのカップルが下りてきたので少し話をしました。
緑の上着を着ている男性の方に「今さっき間違えて東の頂上登っちゃったんですよね」と言うと「あっ、俺も1回目来た時同じことしちゃったよ。ガックリしすぎてその日はそのまま帰ったよ」・・・わたしもお昼ご飯食べて一息つかなかったら、そのまま下りて今日はもう帰るか、、ってなっていたかもしれません。


最後の100mちょっとは直角みたいな岩登りになります。でもペンキマークがあるので心強いです。
このすぐ左のへんに年配のハイキング客の男性が立っておられました。誰かを待っているようです。挨拶だけして登っていくと男性と同い年くらいの年齢の女性が下りてきました。挨拶をしましたがとても明るくノリのいい方で立ち止まって2、3分話をしました。
「主人は高所恐怖症なので下で待たせてるのよ」とおっしゃってましたが70歳くらいに見えました。わたしもその年齢になってもこの位のレベルの山に行き続けることができるといいなと強く思わされました。


もう少しです。


ついに着きましたヾ(*´∀`*)ノ


(今度こそ)グラン・ガリビエ(3228m)頂上\(^_^)/
奥にはアルヴ山塊ののシンボル、3つの尖がりエギーユ・ダルヴが。どれもアルピニスムでしか登れないのでエギーユ・ダルヴの一番右の猫の頭みたいなやつのそのさらに右隣の少し低くて平たい山(エギーユ・ド・レぺスール、3230m)に去年の11月に登ったのですがその時に正面に見えたグラン・ガリビエ👇

頂上がふたつあるのがよく分かります(^^ゞ


この日は日曜だったこともあってか、父息子が一組、40歳前後の男性ハイキング客ふたり、そしてこのアルピニストふたりの計6人が頂上にいました。アルピニストはこのあとすぐ下りて行ってしまったので挨拶しかしませんでしたが、男性ふたり組と親子のお父さんとは結構たくさん話をしました。


わたしが「無理・・」と思った稜線に下りていくアルピニスト達✨


その先には東の頂上が。


エクランを背景に1枚撮ってもらいました。


お父さんハイキング客がわたしや男性二人組に「みんなどこから登ってきたの?」と聞いてきました。わたしはオート=ザルプ県はロータレ峠から下りた1700mの地点の駐車場。二人組は反対側、サヴォア県の標高2100mの駐車場。父息子は近くの山のすぐ麓の村に住んでいてわたしとも二人組とも違う地点。お父さんは「同じ頂上にいてもみんな違うところから歩いてきたなんて面白いね。でも君のコースが一番長いよ」とわたしに言うので「しかも間違えてさっき隣の頂上も登ったんですよね💦」と付け加えました(^^; 
そのあと、セルス山塊でのお勧めを教えてもらいました。


地元民であるお父さんハイキング客(右)と二人組ハイキング客のひとり。


高い山の頂上にはありがちなのですが、ここにも思い出ノートがありました。プラスチックの筒型の入れ物に入っています。


なぜか表紙にはイタリア語が印刷されていました。しかもノート自体、イタリア製というかイタリアで流通している学校用のもののようで「名前」「クラス」などの単語が英語+イタリア語になっています。書き込んでいるのはフランス人の方が多かったです。
ここはイタリア、遠くはないですけど7月末に歩いた辺りに比べたらもう少し国境からは離れているのですが・・・
ノートはもうページが残っておらず、ケースの底にはメモみたいな紙に書き足したメッセージが入っていました。


20キロくらいある周回コースだったので、帰りの部分も2回くらいに分けることになると思います。もともと往復コースのつもりだったのですが、帰り道、無理やり行きと違う道を通ってみました(^^;

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